観光スポットではありませんが、大島に東大の研究所があるということをご紹介したいと思います。
三原山が噴火したときなどはよくテレビに出られるので有名だとは思いますが。




東京七島新聞99/07/31


火口に千メートル観測井
東大地震研渡辺教授
地殻応力観測結果を発表
【大島】去る六月八日、東京都渋谷区代々木・オリンピック記念青少年センターで開催された地球惑星科学関連学会の合同大会で「伊豆大島火山カルデラ内総合観測井における地殻応力測定結果」について、東大地震研究所の渡辺秀文伊豆大島火山観測所長(東大教授)による調査結果報告が行われた。
同報告によると、一九九八(平成10)年三月、伊豆大島火山のカルデラ内、三原山火口の西ーキロメートル、カルデラ西縁から約180メートルの内側の場所に、深さーキロメートルの総合観測井が設けられた。観測井内には地震計4基、水位水温計、ハイドロフォン(水中マイク)などの計器6個が縦に並べて設置され、ケーブルで観測用局舎に引き込み、衛星を使ったテレメーターでデータは東大地震研大島火山観測所の屋上で受けられるようになっている。総経費はボーリング、観測機器などを含め約3億円。伊豆大島火山では一九八六年に起こったカルデラ内外での割れ目噴火によって、火山体内部の応力状態(島全体の地下にどういう力がかかっているかの状況)が変化している可能性があり、現在の火山体内部の応力状態を調べるため、深度700〜1000メートル間で水圧破壊法(孔を掘った中で圧力をかけると孔の壁に亀裂ができ、その亀裂のできる向きが力のかかっている方向によるもので、その亀裂がどうできたかということで孔にかかっている力を測定できる)による応力測定を実施した。得られた最大主応力および最小主応力は、高密度な溶岩からなる深度700〜800メートル区間では41MP(メガパスカル、ー メガパスカルは10気圧)および27MP、堆積岩(長い間噴火があったりして自然に堆積したもの)からなる深度800〜1000メートル区間では21・25MPおよび16・
18MPであった。また、最大主応力方位は、周辺の平均的な応力場とほぼ同じ北西-南東であった。この総合観測井を設けた目的は、火口の地下ではこの前の噴火もそうだが、噴火の前にいろいろな現象が起こり、火道をマグマが上がってくると周辺にある豊富な地下水が温められ、場合によっては沸騰(ふっとう)が起こる。そうすると大量の水蒸気がつくられ、そういうものが火山性微動を起こしたり、いろいろな前兆現象を起こす。この前の噴火の時も非常にはっきり起こって、それを観測することができたが、その起こる深さが何時も一定している。マグマ本体は深さは8キロメートルとか深いところにあり、そこから上がってくるはずだが、ある所まで来ると火道周辺の地
下水を加熱し、大量に水蒸気をつくったり、いろいろな前兆現象が起こる。それから、島全体の地下の力がどういうふうにかかっているか、比較的浅い1000メートルでも、そういう力がちゃんとかかっているかどうか、それを測定できるか、などを確かめるため、総合観測を掘った。
観測井は、伊豆大島火山のカルデラ内(三原火口の西ーキロメートル、カルデラ西縁から約180メートル内側)において、深さーキロメートルの総合観測井の掘削を平成8年度から開始、9年度末に完成した。掘削の主要目的は、@孔井内および地表に設置する3次元アレイ地震観測網(観測計器を垂直および水平に配置した立体的アレイ=群列)によって、火口直下で発生する地震や微動の高精度震源決定や火山体の構造探査を行う。A孔井内にハイドロフォンや水位水温計を設置し、高温のマグマや火山ガスと火道周辺の地下水との熱的な相互作用を解明する。Bコア資料(ボーリングするときの岩石サンプル)の分析および掘削中や後の物理検層(温度、孔の壁の密度など層を調べる)によって、カルデラ内や火山体の構造と形成史を解明することなどである。伊豆大島火山では1986年にカルデラ内外での割れ目噴火に伴う大きな地盤変動が起こっており、火体内部の応力場を調べるために、深度700〜1000メートル間で圧破壊法による応力測定実施した。応力方位を測定するための破壊亀裂の型取りは、底温度が高いためスリーブが変質してできなかっが、そのかわりに、水圧破壊の前後で超音波によるボアホールテレ ビューア検層(ボーリング孔壁の画像を遠隔操作で見る)を行い比較検討した。また、テレビユーア画像では、掘削時の泥水圧によりできた縦亀裂(最大主力方位)やブレークアウト(最小主応力方位)も数ヵ所で明瞭に認められた。得られた最大主応力および最小主応力は、高密度な溶岩からなる深度700〜800メートル区間では、41MPおよび27MP、堆積岩からなる深度800〜1000メートル区間では21・25MPおよび16・18MPであった。また、最大主応力方位は、周辺の平均的な応力場とほぼ同じ北西-南東であった。